2002年6月17日月曜日

1月17日の旅

ここへ来たのには訳がある
長い髪の女がしんなりと瞼を赤くする

7年間ふれることの出来なかった木や花に
近づくほど足どりは早くなる

血も汗も流すことが出来なかった
人々は私に気づいてくれるだろうか
7年前に止まった数千の時間に
生きつづける限り止むことの無い
不器用な指が
刻まれた小さな名前をなぞるとき
何も出来なかった者は
涙を流しても良いのだろうか

なぜもっと早く来なかったのだろう
ここにはあまりにも多くの姿がある

雪の地蔵は
白い菊でおめかしされて
やさしい母と楽しかった休日を思い出す

ここで一体何があったと言うのだろう
知ることを自ら投げ出し
永遠に失った者の合掌は
傷ついた肉の祈りにおよぶはずも無い

私が、今、ここに居ることに
気がついてくれるだろうか
私が居ることに
気がついてくれる日は来るのだろうか

ひとつひとつ確かめて歩くのが恐い
私の将来は私の過去にある
追い越して行ったのはあの女か
ここはあのアパートが有った場所だ
なぜここに居る
なぜ振り向かない
なぜあの時と同じ肌なのだ

年老いた読経がはじまり
花と水に守られた墓碑銘に
やわらかな光の息が
よみがえる

ひとくちの水さえ得られず
静かに去った人たちは皆
これが最後であることを
祈ったという

私には聞こえるだろうか

火焔と塵灰にさえぎられた
かすかな声が聞こえるのだろうか

ここに、居て、ほしい


2002/1/17


(神戸は学生時代に住んだ、大好きな街です。
それなのにあの日の出来事、何も出来ませんでした。
7年目にしてやっと訪ねた時、少しだけ”眼”を合わせられたのかもしれません。)